人生なるようになる

どうあがいてもただのオタクが自分の意見を述べるし他人の意見も聞きたい

ファンは、「気持ちだけ」は求めていない

常にと言うと過言かもしれないが、オタク界隈を賑わす「本当のファン」論争について、オタク界隈よりもむしろリア充の友人の付き合いにおいて、私なりに考えさせられることがあった。

結論として、「気持ちだけ」は求めていない。

ただし、語弊がありそうなので付け加えると、「気持ち以上のものが伴う場面において、同じ立場に立った者同士の気持ちだけは求めていない」ということである。


事の発端は、リア充の友人たちと資金を出し合って、共通の友人にサプライズで誕生日祝いを贈る、ということだった。最初は順調に話が進んでいたのだが、ふと1人の友人から「ごめん、誕生日当日に予定を空けることが難しい」という話があがった。理由としては、自分の仕事が忙しく、スケジュールが組めないからということだ。
我々もいい年をした社会人であるので、仕事の忙しさは分かる。ちょっとしたランチならまだしも、皆県外から集まるので、1日まるごと予定を開ける必要がある。なので私はこう言った。

「仕事が忙しいなら仕方ないし、謝ることじゃないよ。余裕がない時に他人を祝うことに時間を割けるかって言われたら、簡単じゃないよね」

別に嫌味でも何でもない。友人が申し訳なさそうにしていたので、フォローを入れたつもりですらいた。
しかし、対する友人の返事はこうだった。
「本当にごめんね。でも、私がまるで〇〇ちゃんを祝う気持ちがないみたいに思ってるの?私だって楽しみにしてるし、お祝いしたい気持ちはあるのに。でもそれが出来るほどスケジュールが確定してないだけで…傷つくよ」

勿論、慌てて否定した。そんなつもりで言ったわけじゃないよ、勘違いさせてごめんね。物理的に難しいって言っただけで、お祝いの気持ちを否定なんかしてないよ、と。
勘違いさせる気も否定した気もさらさらないのだが、流石にここはこちらが謝らないと関係が拗れるということはひしひしと感じられたのだ。

まあ、内心はこうである。
「…だから?」


ここで重要なことは、私のフォローが全く異なる解釈をされたということではない。言葉というものは受け手の解釈次第なので、もしそこに勘違いが生まれて相手を不快にさせたのであれば、言葉の足りない自分が謝ることは妥当だ。
問題は、その言い訳だ。行けないなら行けないで良いではないか。誰も責めてなどいないし、そりゃあ残念かもしれないが、自分で言ったのではないか。「仕事だから(しょうがないことだ)」
だから、行けないなら行けないで、スパッと諦めるべきか、逆に何としてでも行けるように頑張るべきか、どちらかだと思うのだ。「気持ちはある」と言われても、来ないものは来ないし、我々の力で彼女の仕事はどうこう出来ないので、彼女自身で折り合いをつけるしかない。


ここで意地悪なことを言うならば、友人の誕生日に他県の友人たちと会合することは、彼女にとっては仕事になんとしてでも都合をつけて行こうと思うものでもない、ということだ。

例えばこれが親の葬式なら?誰かの結婚式なら?自分が行きたがっていたライブなら?

もしこの記事に読者がいてくださったとしたら、どう順位をつけるだろうか。私は親の葬式>誰かの結婚式>仕事>ライブだ。勿論、自分の親の命に関わるようなことや、人生に一度しかないようなことは、そちらを優先させるし、オタクには金が必要だと思うので、基本的にはライブが最下層だ。ただし、時には仕事をほっぽり出してライブを優先することもあるし、逆にどうしても仕事の納期に間に合わず結婚式の参列を辞退することもある。
優先順位なんて時と場合ですぐに変わる上に、人によっても様々であるから、どれを優先させるかさせないかで、その人を非難するつもりなどさらさらないし、そもそもする権利もないだろう。

したがって、何だっていいのだ。彼女にとっては仕事に何としてでも都合をつけるほどでもない会合だとしても、他の面子が同様の環境で参加してるわけでもなく、例え同じ環境だとしても優劣をつけたのはその人自身なのだから、それを責める権利などない。
だと言うのに、「私だって楽しみにしてるし、お祝いしたい気持ちはあるのに。でもそれが出来るほどスケジュールが確定してないだけで…傷つくよ」と友人が言い出す理由は、結局自分の中で納得出来ていないからなのではないだろうか。そしてそれを誰かに認めてほしい、理解してほしいと思っているから、心のうちに留めず言い訳がましい理由を口にする。

「行きたいけど、行ける環境ではない、だから楽しんできてね!」でもなく、「行きたいけど、行ける環境ではない、でも行けるように頑張る」でもなく、「行きたい…でも行けない…でも行きたい…でも…」という「気持ち」だ。それに対して、実際に現場にいる我々がどう応じろというのだ。「来たいなら来れば?」としか言えないとは思わないのだろうか。何せその人の優先順位を知らないので。
だと言うのに、「行きたくても行けない人だっているんです!傷つきます!」と声を大にする茶の間が現れる。
私は、茶の間は好きでも嫌いでもない。ファンの在り方は人それぞれだ。しかし、茶の間が疎まれる原因というのは、ここにあるのではないだろうか、とは思う。


なお、これは前述した通り「気持ち以上のもの(チケット代やグッズ代、交通費等)が伴う場面(推しの応援)において、同じ立場に立った者同士(ファン)の気持ちだけは求めていない」という考えを解説したものであり、我々が推している俳優からすれば、恐らく、我々ファンに大した差はない。
結局彼女が友人の誕生日に現れなかったとしても、「今日、来れなくて残念にしてた。とってもお祝いしたがってたよ」と我々が伝えれば、もしくは「楽しみにしてたのに、行けなくてごめんね」と彼女がLINEの1本でも送れば、誕生日を迎えた友人は純粋に喜ぶだろう。

つまり、オタク界隈で度々起こる「本当のファン」論争は、どちらが本当のファンか、というそんな大それた話でなく、現場にいるファンと、声の大きい茶の間の、互いが互いに煩わしいだけの喧嘩である。