人生なるようになる

どうあがいてもただのオタクが自分の意見を述べるし他人の意見も聞きたい

ファンのプライド

 最近よく若手舞台俳優が炎上しますね(今更)

 まあ、常に他者から監視され、誰もが情報を拡散することの出来る現代社会において、炎上しない方が難しいのかもしれない。何せ情報の真偽が定かではなくても炎上するのだ。流石に私も、女性アイドルが女友達とディズニーに行って炎上したのを見たときはおったまげた(死後)

 そういう現代社会なので、起こっても仕方のないカノバレ(※バレて良いとは言っていない)で大炎上が起こるのは、多くのファンが口を酸っぱくして言っている「ばれ方」なのだろう。つまり「管理能力不足」だ。若手舞台俳優が掃いて捨てるほどいる世界の中で、「演技だけ」で勝負できる役者などごく一握り。(非常に卑しいように聞こえるが)あの手この手でファンを集めて、アイドルまがいの商売をしていないと言い切れる役者がいたら、ぜひ私に教えてほしい。喜んで舞台を観に行きたい。

 「そういう商法」のなかで、商品──俳優自身──の「そういう価値」を下げられたときに、「これからも変わらず応援します♡」と言うことが出来るファンは、まさに板の上の推しを応援しているに違いない。しかし、「応援できない!カノバレ最低!」と叫ぶファンが悪いわけでは全くないのだ。だってそういう商法なのだから。商品提供側は、責められたくないのであれば、商品に「自己管理」をさせなければならない。もしくは、そういう商法をしない。二択である。馬鹿でも分かる。ファンのみなさんにいたっては一から百まで理解しているだろう。

 

 しかし先に述べた通り、現代社会において、炎上しない方が難しいのだ。そんな世の中で、カノバレ一つでAiiAでも軽く燃やせそうな──実際AiiAは燃える前に取り壊されるだろうが──勢いでファンに激怒されては、若手俳優の身も持たないだろう。「異性と少しでも距離が近いだけで噂されるなんて、お前らは思春期の中学生か?」くらい思われていてもおかしくはない。何なら正直ストーカーと思われていても仕方ない。
 ただし、そのような状況でも「クズバレ」だけはするなと思う。と言うか、クズであるなと思う。直近で言うのであれば、みなさんお察しだが、妊婦さんを絶望させるゲームだとか、警察にお世話になったり、そういうアレよ、アレ。
 たまーに援護で見かけるのだが、「今頑張っているのに、過去の発言を掘り起して騒ぎ立てるなんて!」というコメント、あまりに寛大すぎてあなたは仏か何かか?漫画じゃないんだから、悪役が正義の味方になるなんてことはそうそうないと思う。あったとしても、その正義の味方には必ず「悪役の自分」という二面性が潜んでいて、勿論それが顔を出すことは一生ないかもしれないが、もしかしたら今日現れることもあるかもしれない。その可能性がある以上、その人を変わらず信用しろと強制することは絶対に不可能である。いじめに遭った子に「あなたをいじめた人は心を入れ替えたからこれからは仲良くしてね」と言っているようなものだ。
 あとは、謝罪ツイートのリプライ欄にありがちな「それでも応援してます!」「これから頑張ってね!」全肯定ファン現る。責めたり反省を促す言葉が一切ないってすごい。だって、恥ずかしくない?私は友達にいじめっ子がいたら恥ずかしい。過去を反省したとしても、その人の言動で当時傷ついたり迷惑を被った人はいるはずだ。そういう被害の部分を想像せずに、「反省してるなら大丈夫だよ!」何が?である。何が大丈夫なの?カノバレを許す権利はファンにあるかもしれないが、クズバレを許す権利は我々にはない。これはカノバレと異なって、バレたことが問題ではなく、クズ(クズはあまりにも攻撃的なので、以下不道徳とする)だったことが問題なのだ。

 それでも、板の上に立っていた俳優が──つまり演技が──好きだったのであれば、「性格はどうであれ、私は応援したい」とファンは思うだろう。いや、気持ちは分かる。私だって、もし推しがクズバレしたとしても、恐らく「でも板の上の推しが好きだから」「推しの演技に勝るものがないから」とかとやかく理由を付けるだろう。絶対そう。自信を持って断言できる。
 でも、外野はそうは思わない。世間様から「あの俳優は不道徳な人間だ」と思われているのに、それでもファンを名乗る人がいれば、「推しが不道徳でも許せる=ファンも不道徳」と思われかねない。そのような中で、「私は○○くんのファンです!」と胸を張って言えるのだろうか。推しを「ああ、炎上俳優ね」と言われて恥ずかしくならないのだろうか。一方で、今まで見てきた推しの姿を嘘だと思いたくない。今まで見せてくれた景色が灰色に染まるわけではない──

 

 つまるところ、「役者としては真摯に頑張っていた」ということは、熱心に応援してきたファンが一番よく知っている。だから、自信を持って「ファンです」と名乗ることができる。それは一種の、ファンのプライドだと思う。それ故に、推しが非道徳的な人間であると発覚したとき、誰よりも強くショックを受ける。批難する。でも否定しきれない。これからも応援したい。これはプライド故の葛藤なのだろうと、私は思う。

 そのプライドを守ることが出来るのは、推しだけだ。だから、ファンを持つ人間は決してクズであってはならない。

ファンは、「気持ちだけ」は求めていない

常にと言うと過言かもしれないが、オタク界隈を賑わす「本当のファン」論争について、オタク界隈よりもむしろリア充の友人の付き合いにおいて、私なりに考えさせられることがあった。

結論として、「気持ちだけ」は求めていない。

ただし、語弊がありそうなので付け加えると、「気持ち以上のものが伴う場面において、同じ立場に立った者同士の気持ちだけは求めていない」ということである。


事の発端は、リア充の友人たちと資金を出し合って、共通の友人にサプライズで誕生日祝いを贈る、ということだった。最初は順調に話が進んでいたのだが、ふと1人の友人から「ごめん、誕生日当日に予定を空けることが難しい」という話があがった。理由としては、自分の仕事が忙しく、スケジュールが組めないからということだ。
我々もいい年をした社会人であるので、仕事の忙しさは分かる。ちょっとしたランチならまだしも、皆県外から集まるので、1日まるごと予定を開ける必要がある。なので私はこう言った。

「仕事が忙しいなら仕方ないし、謝ることじゃないよ。余裕がない時に他人を祝うことに時間を割けるかって言われたら、簡単じゃないよね」

別に嫌味でも何でもない。友人が申し訳なさそうにしていたので、フォローを入れたつもりですらいた。
しかし、対する友人の返事はこうだった。
「本当にごめんね。でも、私がまるで〇〇ちゃんを祝う気持ちがないみたいに思ってるの?私だって楽しみにしてるし、お祝いしたい気持ちはあるのに。でもそれが出来るほどスケジュールが確定してないだけで…傷つくよ」

勿論、慌てて否定した。そんなつもりで言ったわけじゃないよ、勘違いさせてごめんね。物理的に難しいって言っただけで、お祝いの気持ちを否定なんかしてないよ、と。
勘違いさせる気も否定した気もさらさらないのだが、流石にここはこちらが謝らないと関係が拗れるということはひしひしと感じられたのだ。

まあ、内心はこうである。
「…だから?」


ここで重要なことは、私のフォローが全く異なる解釈をされたということではない。言葉というものは受け手の解釈次第なので、もしそこに勘違いが生まれて相手を不快にさせたのであれば、言葉の足りない自分が謝ることは妥当だ。
問題は、その言い訳だ。行けないなら行けないで良いではないか。誰も責めてなどいないし、そりゃあ残念かもしれないが、自分で言ったのではないか。「仕事だから(しょうがないことだ)」
だから、行けないなら行けないで、スパッと諦めるべきか、逆に何としてでも行けるように頑張るべきか、どちらかだと思うのだ。「気持ちはある」と言われても、来ないものは来ないし、我々の力で彼女の仕事はどうこう出来ないので、彼女自身で折り合いをつけるしかない。


ここで意地悪なことを言うならば、友人の誕生日に他県の友人たちと会合することは、彼女にとっては仕事になんとしてでも都合をつけて行こうと思うものでもない、ということだ。

例えばこれが親の葬式なら?誰かの結婚式なら?自分が行きたがっていたライブなら?

もしこの記事に読者がいてくださったとしたら、どう順位をつけるだろうか。私は親の葬式>誰かの結婚式>仕事>ライブだ。勿論、自分の親の命に関わるようなことや、人生に一度しかないようなことは、そちらを優先させるし、オタクには金が必要だと思うので、基本的にはライブが最下層だ。ただし、時には仕事をほっぽり出してライブを優先することもあるし、逆にどうしても仕事の納期に間に合わず結婚式の参列を辞退することもある。
優先順位なんて時と場合ですぐに変わる上に、人によっても様々であるから、どれを優先させるかさせないかで、その人を非難するつもりなどさらさらないし、そもそもする権利もないだろう。

したがって、何だっていいのだ。彼女にとっては仕事に何としてでも都合をつけるほどでもない会合だとしても、他の面子が同様の環境で参加してるわけでもなく、例え同じ環境だとしても優劣をつけたのはその人自身なのだから、それを責める権利などない。
だと言うのに、「私だって楽しみにしてるし、お祝いしたい気持ちはあるのに。でもそれが出来るほどスケジュールが確定してないだけで…傷つくよ」と友人が言い出す理由は、結局自分の中で納得出来ていないからなのではないだろうか。そしてそれを誰かに認めてほしい、理解してほしいと思っているから、心のうちに留めず言い訳がましい理由を口にする。

「行きたいけど、行ける環境ではない、だから楽しんできてね!」でもなく、「行きたいけど、行ける環境ではない、でも行けるように頑張る」でもなく、「行きたい…でも行けない…でも行きたい…でも…」という「気持ち」だ。それに対して、実際に現場にいる我々がどう応じろというのだ。「来たいなら来れば?」としか言えないとは思わないのだろうか。何せその人の優先順位を知らないので。
だと言うのに、「行きたくても行けない人だっているんです!傷つきます!」と声を大にする茶の間が現れる。
私は、茶の間は好きでも嫌いでもない。ファンの在り方は人それぞれだ。しかし、茶の間が疎まれる原因というのは、ここにあるのではないだろうか、とは思う。


なお、これは前述した通り「気持ち以上のもの(チケット代やグッズ代、交通費等)が伴う場面(推しの応援)において、同じ立場に立った者同士(ファン)の気持ちだけは求めていない」という考えを解説したものであり、我々が推している俳優からすれば、恐らく、我々ファンに大した差はない。
結局彼女が友人の誕生日に現れなかったとしても、「今日、来れなくて残念にしてた。とってもお祝いしたがってたよ」と我々が伝えれば、もしくは「楽しみにしてたのに、行けなくてごめんね」と彼女がLINEの1本でも送れば、誕生日を迎えた友人は純粋に喜ぶだろう。

つまり、オタク界隈で度々起こる「本当のファン」論争は、どちらが本当のファンか、というそんな大それた話でなく、現場にいるファンと、声の大きい茶の間の、互いが互いに煩わしいだけの喧嘩である。